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浅草寺の歴史をご紹介します。

浅草寺の総門「雷門」

浅草寺の総門「雷門」

浅草寺の総門である雷門は、浅草を代表する顔です。正式名称は、風雷神門。門の右側に風神像、左側に雷神像を安置しています。

浅草のあけぼの

浅草のあけぼの

1.浅草のあけぼの
浅草は、利根川、荒川、入間川が運ぶ土砂の堆積によって作られた。古墳時代には、漁民と農民が住んでいた小さな村でした。


2.ご本尊の示現
浅草寺縁起によれば、628(推古天皇36)年に、宮戸川(現在の隅田川)で魚をしていた檜前浜成・竹成(ひのくまのはまなり・たけなり)兄弟の網にかかった仏像があった。これが浅草寺本尊の聖観音(しょうかんのん)像である。

浅草寺の草創

浅草寺の草創

3.浅草寺の草創
この像を兄弟の主人・土師中知(はじのなかとも、「土師真中知」(はじのまなかち)とも)に見せた所、聖観世音菩薩像であることがわかり、土師中知は出家し、自宅を寺に改めて供養した。これが浅草寺の始まりという。観音像は高さ1寸8分(約5.5センチ)の金色の像であると言われるが公開されることのない秘仏のため、その実体は不明である。
4.慈覚大師(じかくだいし)中興の開山となる
ご本尊が示現して17年後、645(大化元)年に勝海上人が来られ、観音堂を建立しご本尊を祀られ、秘仏とされました。その後、857(天安元)年に慈覚大師が来られ、秘仏に変わる聖観音像を造られました。

平公雅(きんまさ)堂塔伽藍を建立

平公雅(きんまさ)堂塔伽藍を建立

5.平公雅(きんまさ)堂塔伽藍を建立
平安時代中期、942(天慶5)年、安房の国主であった平公雅が京に帰る途中に淺草寺に参拝し、次は武蔵の国守に任じられるように祈願したところ、その通りになり、お礼に堂塔伽藍を再建され、田畑を寄進されました。
6.源頼朝の参詣
1180(治承4)年、源頼朝は、平家追討に向かうために浅草の石浜に軍勢を揃えた際、浅草寺に詣で、戦勝祈願をしました。又、鎌倉鶴岡八幡宮造営に際しては、浅草から宮大工を招いています。
このように、武将や文人の信仰を集めた、浅草寺は、その名を全国に広まっていきました。

徳川将軍のあつい保護

徳川将軍のあつい保護

7.徳川将軍のあつい保護
1590(天正18)年、江戸に入った徳川家康は、浅草寺を祈願所として、寺領500石を寄進しました。1616(元和4)年には、家康を祀る東照宮の造営を認め、随身門(二天門)も建立されました。寛永年間に観音堂が炎上した際も徳川家光により、1649(慶安2)年に再建されました。昭和20年の東京大空襲で焼失し、現在の本堂は、昭和33年に再建されたものです。
8.江戸時代 境内と奥山の賑わい
江戸の繁栄とともに浅草寺の参詣者も増え、江戸一番の盛り場となりました。江戸文化の最盛期、境内には百幾つもの神仏の祠堂(しどう)が建ち並び庶民信仰の聖地となり、一方、奥山では、松井源水のコマ廻し、長井兵助の居合い抜き、のぞきからくり、辻講釈などの大道芸や見世物が参詣者を喜ばした。さらに、春の節分をはじめ、季節の行事は、大変な賑わいでした。
明治に入って、浅草寺の境内は、浅草公園となり、その第六区が興行街となって日本の映画史、演劇史の上に大きな足跡を残した。明治15年、鉄道馬車が開通し、同23年には、浅草一帯を眼下に望む凌雲閣(通称・浅草十二階 高さ52m)が開業されるなど、文明開化の先がけをほこった。

浅草寺の寺舞(じまい)

浅草寺の寺舞(じまい)

9.浅草寺の寺舞(じまい)戦後の東京の復興は、浅草の復興でもありました。1958(昭和33)年に本堂が再建され、これを記念して「金龍の舞」(3月18日示現会・10月18日菊供養会・11月3日 奉演)、1964(昭和39)年に「福聚の舞(ふくじゅのまい)」、1968(昭和43)年に東京百年祭を記念して「白鷺の舞」が創作され、縁日に奉演されています。
そして、2012(平成24)年には、近くに東京スカイツリー(634m第二展望台450m)が開業しました。

現在の浅草寺

現在の浅草寺。雷門から仲見世、五重塔、浅草神社とスカイツリー。昔と現代の融合です!